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  ハムレットはホレイショーに ”天と地の間には我々の哲学では解しきれないさまざまな事が存在するのだ” と言った。

186911月のとある金曜日、美しいリタは昨日、彼女がカード占い師を訪ねて行ったことについて笑っている恋人のカミロに”ハムレットの至言”と同じようなことを説明しようと努力していた。
「笑いたいだけ笑うといいわ。男の人ってみんなそう、何も信じないんだから。私はたしかに行ったわ。そして占い師は、私が悩み事を言う前に私の悩みを言い当てたのよ。」
「彼女はテーブルにカードを並べながら私に言ったの。“あなたには愛している人がいますね”」って。
「私が驚きながら正直に“います!”って答えたら、彼女はカードを並べ、組み合わせると、“あなたは恋人から忘れられるにことを恐れてるんだね”って言ったのよ。そして、”でも、それは杞憂に過ぎませんよ”ってつけ加えたのよ...」
「全然当たってないよ!」
カミロはリタの話を中断して笑いながら言った。
「カミロ、お願いだからそんなこと言わないで。あなたのせいで私が最近どんなに状態になっているかよく知っているでしょう?前にも言ったはずよ。私のことをそんなに笑わないでって!」

  カミロは笑うのを止め、彼女の両手をしっかり握りしめ、真剣な顔をして見つめた。
「僕はリタをとても愛しているよ」彼とは言い、「私から忘れられることを怖がっているなんてまるで子どもみたいだ」と笑った。
「もし二人のことで心配になった時は、その心配を取りのぞくことができる最高の占い師は僕だ」とまで言った。
そのあと、彼はカード占い師を訪ねて行ったことは、とても浅はかなことだった、とリタをたしなめた。
ヴィレラに知られるかも知れないし、そうしたらどんなことが二人に起こるかわからないと。
「彼が私たちの関係を知ったらどうだって言うのよ?私は誰も見てないってことを確認してから占い師の館に入っのよ!」
「その占い師の館はどこにあるんだい?」
「この近く、グアルダ・ヴェーリャ通りよ。行った時は通りには誰もいなかったわ。だから安心して。私はあなたが思っているほどおバカさんじゃないわ。」
カミロはまた笑いながら、「君は占いとかを信じるの?」と聞いた。
そしてその時に、リタは有名なハムレットの”天と地の間には我々の哲学では解しきれないようなさまざまな事が存在するのだ”という至言を、よくその意味も知らずに口にしていたのだ。
しかし、カミロが信じてくれないのならしかたがない。だけど女占い師が言ったことは、全て当たったのだ。女占い師の言葉はリタを安心させた。それ以上、何がいると言うのだろう?


ミロは何か言おうとしたが、やめた。
彼女の安心感をこわしたくなかったからだ。彼自身、子どもの時代も、その後成長してからも、幼いときから母に教え込まれて来たさまざまな迷信などを信じていたのだ。さすがに二十歳になったころは、そんな迷信はすべて捨たが。
まるで寄生虫のような、それらの迷信やジンクスなどをすべて捨て去ったときに残ったものは、信仰というものの形骸だけだった。彼は母から信仰と迷信とについて教えられ、疑いもなく受け入れたように、大人になってから、それらのすべてを疑ったあとで完全に否定することにしたのだ。
 今、カミロは神も何も信じてはなかった。
なぜか?
それについて彼は何の弁明もしなかった。
ただすべてを否定していたのだ。しかし、否定するということは、それらの存在というか影響を心のどこかで認めているということでもあるのだ。
だが、彼は不信をあらわにすることはしなかった。
彼は“カード占い”などという、正直、よくわけの分からない奇妙なことと、奇妙な縁で直接的ではないにせよ関係することになったのだが、ただ肩をそぼめただけだった。

 二人は会って話をしたあと、どちらともとても幸福な気分で別れることができた。
どちらかと言うと、カミロの方がリタよりも幸せを感じていたと言えよう。
彼はリタからとても愛されているということを感じた。カミロは、彼女の自分に対する信頼を確認することができただけでなく、どれほどリタが彼を熱愛し、しかも彼のために勇気をふるってカード占い師の館まで行ったのだ。
一応、そんなことはするものではない、とたしなめはしたものの、彼との愛をそこまで心配してくれるリタの心がうれしかった。
二人が密会した家は、旧バルボーナ通りにある、リタと同郷の友人の家だった。
リタはマンゲイラ通りを下って自宅があるボタフォゴ地区へと向かって歩いて行った。
カミロはグアルダ・ヴェーリャ通りを歩き、リタが行ったというカード占い師の館を横目で見ながら通り過ぎていった。


グアルダヴェーリャ通りの画像
                                                                                  Renato Alarcão

      

 
  これは、ヴィレラ、カミロ、リタの三人の物語だ。
三人の人物、ひとつの恋のアバンチュール。
しかしこの物語がどのようにして始まったのかについての説明はない。
ともかく、物語はここからはじまったのだ。

 ヴィレラとカミロ は幼なじみだった。
ヴィレラは司法の道へと進み、カミロは医者になって欲しいという父の意志に反して公務員となった。
と言っても、カミロはすんなりと公務員になったわけではなく、父親が亡くなった後、カミロは仕事などする気まったくなかったのだが、母が公務員の仕事を見つけてくれたのだ。
1869年の始めに、ヴィレラは家柄が良く、美人だが少々おろかな女性と故郷で結婚式を挙げてからリオ市にもどって来た。
もどってくるなり、司法の仕事を辞め弁護士事務所を開いた。カミロは、ボタフォゴ地区で二人のために借家を見つけてやり、船が到着する港まで二人を迎えに行った。

「あなたがカミロさんですか?」
リタは手をさしのべて大きな声で言った。
「初めまして。リタです。カミロさんのことは、主人からよく聞かされました。あなたがとても大切な友人であると。主人は何度も何度もあなたことばかり話していたのですのよ。」
カミロとヴィエラはしばらくおたがいを思いやりのある目で見つめあった。彼らは親友だった。
カミロは彼女と初対面の挨拶をしながら、彼女はヴィレラが彼宛に出した手紙の中で書いていたとおりの女性だと心の中でうなづいていた。

ヴィレラの妻は優雅で表情豊かな女だった。
彼女は情熱的な瞳をもっており、その少々薄い感じがする唇は常にいつも何かを問いかけているようだった。
リタはカミロやヴィレラよりも少し年上で30歳ということだった。ヴィレラは29歳でカミロは26歳だ。
しかし、体格の良いヴィレラは実際の歳より上に見えるため、リタより年上の夫の印象を見る者にあたえた。
一方、カミロはいたって真面目な男だった。彼はそれほど苦労をした人間ではなかったし、人生経験もそれほど多くなかった。メガネがわずかに大人びいた感じをあたえているだけだった。
 
 

 三人は頻繁に会うようになり、いっしょに過ごす時間が増えるにしたがって三人の関係はさらに親密になった。
それからしばらくしてカミロの母が亡くなったが、ヴィレラはその時、神父や葬儀の手配などをすべてしてくれただけでなく、遺産手続きまでしてくれ、親友であることを遺憾なく発揮した。一方、リタはカミロを慰める役目をしてくれた。彼女は誰よりも親身になってカミロの心の支えとなってくれたのだ。
  そんな関係が、どうして男女の愛にまで発展したのかは、カミロにもずっとわからないままだった。わかっていたことは、リタのそばで過ごす時間がとても楽しいということだけだった。彼女は彼の心のナースであり、姉であり、そして何よりも美しく魅力的な女性だったのだ。
リタが放つ "
Odor di femmina " ―成熟した女の匂い― は、常に彼女のまわりに色濃くただよっていた。
二人は同じ本をいっしょに読み、観劇や散歩にいっしょにでかけた。
カミロは彼女にチェッカーとチェスを教え、夜になると二人でゲームに興じた。
リタはどちらもヘタだったが、カミロも彼女に合わせて少し下手にゲームした。
すべてがそんな調子だった。リタは次第に常にカミロの姿を眼で追うようになり、何か相談事があるときでも、夫であるヴィレラよりも先にカミロに相談するようになった。
そしてカミロへの態度と反比例するように、彼女の夫であるヴィレラに対する態度は次第に冷たいものへと変わっていった。 

  

街並み画像



 誕生日にカミロはヴィレラから誕生日プレゼントに高級ステッキを贈られ、リタからはふつうの、ありきたりなメッセージが綴られたバースデーカードを贈られた。
カミロの目はバースデーカードに書かれているメッセージに釘づけになった。
ありきたりなメッセージ。しかし、ありきたりなメッセージであっても心を打つメッセージもある。カミロの心は幸せで溢れそうになった。
  初めて愛する女性と肩を寄せあって乗った公園の古い馬車は、まるでアポロンの二輪馬車のようだった。
そう、これが男の生き甲斐というものなのだ。すべての状況が順調に行っているようだった。
しかし、正直を言うとカミロはそんな関係は止めようと思ったのだが、時すでに遅しだった。リタはまるで獲物を追い詰めるヘビのようにカミロの心に絡みつき、彼の骨がきしむほど締め上げ、毒をその口にしたらせたのだ。
彼は茫然自失し、彼女の意向に従うしかなかった。彼自身の中では、恥、戸惑い、後悔、欲望などのさまざまな感情との葛藤が起こったが、それはまたたく間に制圧され、理性も心の端に追いやられてしまった。
”良心?そんなものなんてクソ喰らえだ!もう我慢できない。何をこれ以上躊躇することがあるのだ?”
覚悟を決めてからの彼の行動は早く、すぐに彼女と腕を組んで軽やかな足取りで出かけるようになった。お互いが離れている時の切ない恋しさ以外に二人が心配することなど皆無であった。そしてヴィレラとの友人関係は依然変わらなく続いていた。

   しかし、ある日突然、カミロは匿名の手紙を受け取った。その手紙には、彼を”道徳心のない輩”、”裏切り者”などと書かれており、彼の恋のアバンチュールはもう誰もが知っていることだと書かれていた。
カミロは驚き狼狽し、彼への疑惑の目をそらすためヴィレラの家を訪問する回数を減らすことにした。
ヴィレラはすぐそのことに気づき、その理由をカミロに聞いたが、カミロは「遊び半分みたいな恋をしているから忙しいんだよ」だとだけ答えておいた。
以前は馬鹿正直とさえ言えたカミロは、今となってはずる賢く立ち回る男となり、ヴィレラの家を訪れる回数は次第に減り、しまいにはとうとう訪れなくなってしまった。
やはり、自己愛とヴィレラへとの友人関係を疎遠にすることで背徳の罪悪感を少しでも減らそうという思惑があったのだろう。
  ちょうどその時期だった。猜疑心が強く、臆病なリタがカード占い師を訪問したのは。
彼女は占い師にカミロの訪問が減った真の理由を教えてもらおうと思ったのだ。そして占い師によって、カミロの彼女に対する愛に変わりのないことを教えられ、自信を取り戻すことができ、その結果として、リタはカミロから”軽々しい行動をとった”とたしなめられることになったのだが。
しかし、それから数週間後、カミロは新たに数通の匿名の手紙を受け取ることになった。
だが、その手紙は熱烈なラブレターであり、彼の背徳行為を批判するというよりも、彼にぞっこんな女性からの手紙ではないかと言うのが手紙を読んだリタの意見だった。
徳性と言うものは怠惰でしみったれであり、時間も便箋も必要としない。利益のみが能動的であり浪費を厭わない ”― これが、お粗末な語彙と言葉でようやく伝えることができたリタの言葉だった。
しかし、それでもカミロは、匿名の手紙の差出人がヴィレラを知っている者ではないかと疑い、二人の破局はすぐにでもやって来るのではないかと不安でいっぱいだったし、リタも同じだった。
「では、私はこの手紙を持って帰って、前に来た手紙の字と比較してみるわ… もし同じだったら破いて捨てるわ。」とリタは言った。



カミロとリッタの画像

                                                                                   Renato Alarcão

  れからしばらくの間、匿名の手紙は来なくなったが、今度はヴィレラが落ち込んだような顔を見せるようになった。何かを疑っているかのようにあまりしゃべらなくなった。
リタは急いでカミロのところにそのことを知らせに行った。彼女はカミロに、また夫に会いに来ることを提案した。言葉巧みにヴィレラをおだてて話せば、彼が抱えている悩みなどの相談事を持ちかけられるかも知れないというのだ。
だがカミロは彼女の提案に反対した。何ヶ月も顔も見せなかったのに、今頃になって急に訪ねて行ったら、かえって逆に不信感を持ち、疑われるかも知れないというのがカミロの意見だった。
用心のため、二人はしばらくの間、逢うのを控えることにした。そして、もし何か起こった時に連絡できる方法を決めたあと、胸を引き裂かれる想いで涙ながらに別れたのだった。

   翌日、役所で仕事をしていたカミロにヴィレラからのメッセージが届いた。
「至急、家に来てくれ。即刻、君に話さなければならないことがある」
と中には書かれていた。すでに正午を過ぎていたが、カミロは急いで出た。
“なぜ、ヴィレラは私を自宅に呼でいるのだろう?ふつうなら彼の方から事務所に来るべきなのに…”と彼は考えた。
明らかに何か大事な要件に違いない。それに、気のせいかメッセージの文字は少々震えて書かれているように見えた。
カミロは、メッセージの意味するところと、昨日知り得たことなどを関連づけて考えてみた。
「至急、家に来てくれ。即刻、君に話さなければならないことがある。」
歩きながらカミロは手紙の文章を知らず知らずにくり返していた。

 彼は想像の中で、ヴィレラが彼宛の手紙を書いている場面を思い浮かべた。
問い詰められ、弁明することも出来ずに泣きじゃくっているリタ。
憤懣やるかたないといった表情で羽根ペンでカミロに手紙を書くヴィレラ。彼はカミロが必ず家にやって来ることを信じており、カミロが家に入り次第殺すだろう。その状況を考えただけでカミロは怯え震えはじめた。しかし、彼は今さらあとには引けない、と腹をくくり、作り笑いを頬に浮かべ歩き続けた。
 途中、カミロは自宅に寄れば、何が起こっているか事情を書いたリタからの手紙が届いているかも知れないと思ったが、何も届いてなかったし誰も来てなかった。
自宅から通りに出て、再びヴィレラの家を目指して歩きはじめたが、二人の関係がヴィレラにバレたのは確実だと考えた。以前、彼に匿名で手紙を出し脅していた者がヴィレラに二人の関係をバラしたのだろう。ヴィレラはもうすべてを知っているに違いない。特に大した理由もないのに、カミロがヴィレラの家を訪れるのを止めたことも、カミロとリタが抜き差しならぬ関係にあると考えると辻褄が合うと思うだろう。
そんなことをめぐるましく考えていると不安はさらに大きくなり、心拍数は増え心臓がドクンドクンと高鳴っているのが聞こえそうだった。


馬車画像





焦燥感を抱えたままカミロは歩み続けた。
もう、手紙を読み返す必要はなかった。内容はすでに頭に焼きついており、目の前に手紙の文章がおどろおどろしく踊っているようだった。
さらに酷いことに、耳元でヴィレラが「至急、家に来てくれ。即刻、君に話さなければならないことがある」と その文章をくり返し、くり返しささやいているような幻聴さえも生じていた。
ヴィレラは”至急、家に来てくれ”、といっている。しかしなぜだ? 
時刻はもうすぐ午後1時だった。
心の動揺は増すばかりだった。ヴィレラの家に着いたら何が起こるかを想像していたら、まるで実際にそれが起こっているかのような錯覚さえ覚えた。
当然のように恐怖心が喉元にこみ上げてきた。万が一のためピストルを持っていこうと思った。もし何も起きなければ使わないだけだ。”備えあれば憂いなし”だ。しかし、そんなのは男として恥ずべきことだ、とその考えを捨て、カリオカ広場の方向へ早足であるき続けた。そして二輪馬車に乗り、行き先を告げ、急ぐように御者に命じた。

 ”問題の解決は早ければ早いほうがいい“と彼は思った。”こんな状態が続くというのは悪夢だ。”
しかし、二輪馬車を引く馬の蹄の音さえが彼の動揺をさらに増すようだった。
時間は容赦なく過ぎていく。間もなく、じきに彼は命の危険と直面することなるだろう。しかし、グアルダ・ヴェーリア通りの終りに近いところで、カミロを乗せた二輪馬車は横転した馬車が通りを塞いでいため、停車せざるを得なかった。
どうやらカミロにとって今日ははツイてない日のようだった。道を塞いでいる馬車を取りのぞく時間― 。時間にしてほんの5分ほどの間だったが― カミロは 二輪馬車の左方角にリタが先日訪ねたという、カード占い師の館があるのに気づいた。
彼自身はカード占いなんて胡散臭いものはまったく信じてなかった。
占い師の館の窓はすべて閉まっていた。それは、近所の家々の窓が開いていて、それらの窓から通りで起こった馬車の事故を興味津々と見ている住人たちの顔が見える窓と比べると、世事にはまったく無関心と言うことを見せつけているかのようでさえあった。 
   無意識にカミロは何も見えないように馬車の中で身を低くした。彼の動揺はとてつもなく大きく、忘れてしまったと思っていた、過去に信じていた信仰や迷信などの思い出が、記憶の底から亡霊のように湧き上がって来くるのを感じた。
御者は少し後戻りして、最初の横丁を抜け迂回して行くことを勧めたが、カミロはそれを断り、「もう少し待とう。」と言った。彼は体を低くしたまま占い師の館を観察した。そして彼自身、信じられないような事を考え始めた。
それはカード占い師のお告げを聞くということだった。そんなことはちょっと前までは考えもしなかった。
迷信とか占いとか言った類のものは、大きな灰色の翼のようなものであり、それは忘却の彼方に消え去ってしまっていたと思っていたのだが、それは今再び、大きな羽音を響かせてカミロの頭の中に出現したのだ。
通りでは男たちが何とか馬車を元通りに起こそうと大声をあげていた。
「せーので一斉に押すんだ。それ今だ、せーの!」
馬車はもう少しで道脇にどけられるだろう。カミロは目を閉じて他のことを考えようしたが、リタの夫の声が手紙に書かれていた言葉を彼の頭の中にささやいていた。
”至急、家に来てくれ”。
そして彼は彼の身の上に起こるかも知れない悪夢のようなシーンを想像して震えていた。
そんな彼を、カード占い師の館はじっと見ているようだった。彼の足は二輪馬車から降りて館の中へ入りたがっていた。
カミロの目の前には向こう側がよく見えないベールが広がっていた。彼は説明のできない数々の事について素早く思考をめぐらせた。亡くなった母は、世間で起こった奇妙な驚くべき数々の出来事について繰り返し話してくれた。そして”天と地の間には我々の哲学では解しきれないようなさまざまな事が存在するのだ ”というあのデンマークの王子のセリフが自分の中で響いていた。

 

占い師画像

                                                                                    Renato Alarcão


がつくと彼は館のドアの前に立っていた。
御者には少し待つよう命令し、早速ドアを開け館の中に入り廊下を歩いて突き当りの階段を上った。
明かりはあまりなく薄暗く、階段はすり減っており手すりはべたべたしていたが、カミロはそんなことには構わず階段を上りきって二階の部屋のドアをノックした。
すぐに奥から一人の女性がやって来た。どうやら彼女が占い師のようだった。
カミロは彼女に「占って欲しいことがあるんですが...」と言うと、部屋の中へ招かれた。
 そこから二階へ続く階段は先程の階段より古い感じで、さらに暗い中で階段を上って屋根裏部屋に着いた。
それは小さい部屋で一つしかない小窓から差す外光が唯一の明かりだった。
古びた家具、薄暗い壁。その小部屋のみすぼらしい雰囲気などが占い師にさらに威厳をあたえているようだった。
カミーロに部屋の真ん中にあったテーブルの前の椅子に座るよう示すと、彼女はテーブルを挟んだ反対側に、ちょうど小窓を背にする形で椅子に座り、外光がカミロの顔にあまり当たらないようにした。
占い師は引き出しの中からかなり使用されている感のある細長いカードを取り出し、シャッフルしながら、ちらっちらっと
カミロの顔を盗み見ていた。
女占い師はイタリア系で四十代くらいの女性のようだった。
痩せていて肌の色は褐色、大きく鋭い目をしていた。
彼女はテーブルに3枚のカードを並べて言った。
「まず、あなたがここに来た理由を見てみることにしましょう。ふうむ... あなたはなぜかひどく驚いているようですね。」
カミロは彼女がピタリと今の自分の状況を当てたのに驚きながら大きくうなずいた。
「そして、これから何が自分に起きるのかを知りたいのですね?」
「はい。私と彼女の身にです。」と彼は勢い込んで答えた。
占い師は微笑みもせず、「そう慌てないで」と言った。
そしてあまり手入れされていない爪の細長い指で素早くカードをシャッフルしたあと数度カットし、テーブルの上に並べ始めた。カミロは興味津々に彼女の手さばきを見ていた。


タロットカード画像



「カードは私に告げています...」
カミロは、占い師の方に前のめりに体を傾け、一言も聞き漏らさないようにた。
占い師はそんな彼に、「何も恐れることはありませんよ」と言った。
「カードは、当人にももう一人にも何も起こらないことを示しています。そして、第三者である”人間”もまったく何も知らない。」と続けた。
ほっと安堵したのもつかの間、「しかし、細心の注意は必要です。なぜなら、あなたたち対して嫉妬や羨望を感じている人間は少なくないようですから」と彼女は注意を喚起した。
そしてリタの美貌と二人の愛について述べた。

 カミロは占い師があまりにも的確に彼らの置かれている状況を言い当て、あげくは忠告までしてくれたのに感激し、眩しいものでも見るような目で占い師を見ていた。
占い師は言い終わった後、カードを引き出しにしまった。
「貴女(あなた)は私の心に安らぎをもたらせてくれました。」
彼はテーブル越しに手を差し出し、占い師の手を握りしめながら述べた。
彼女は微笑みながら立ち上がった。そして人差し指でカミーロの額に触れながら「さあ、行きなさい、”恋する若者よ”!」と言った。それは、まるで古代ギリシアかローマの巫女の手が厳かに触れたような感じであり、カミーロは震え、同じく立ち上がった。
占い師は別室に入り、大きな皿に乗せてあったレーズンの一房を彼女の手の爪の色のような黄色い歯を見せながら食べ始めた。
そんなふつうの立ち振舞にも彼女独特の空気を漂わせていた。
一刻も早く占い師の館を出ようと焦っていたカミーロはどうやって占い料金を支払うかも分からず、占いの料金額さえ知らなかった。 しかたなく、カミロは「レーズンはただじゃない。どれほどの量が買えればいい?」とポケットから財布を取り出しながら訊いた。
「あなた自身の心に訊いたらいいわ。」と女占い師は答えた。
カミーロは1万レイス札を取り出し、彼女に差し出した。占い師は目を輝かせた。ふつうの占い料金は2千レイスだったからだ。
「あなたは彼女のことがとても好きなのね。まあ、それはいい事じゃない?彼女もあなたのことが好きなようだから... さあ、安心して行きなさい。階段は薄暗いから降りる時に足元に気をつけて。そして帽子は忘れずに。」
占い師はすでにお札をドレスの隠しポケットにしまっており、ちょっとイタリア訛のある話し方で話しかけながら、いっしょに階段を下りていった。
カミーロは一階で占い師と別れ、外に出る階段を下り始めた。予想外の報酬にたいへん満足した女占い師はヴェネツィアのゴンドラ乗りの唄を鼻歌まじりで上機嫌で歌っていた。
 
 カミロは占い師の家の前で彼を待っていた二輪馬車に乗り込み、馬車は足早に走り始めた。
カミロは目の前がすっきりと晴れ上がったような気になった。道行く人たちの顔さえみんな明るく見えた。すべてはたんなる杞憂だったのだ。
カミロは思わず高らかに笑いだし、通りで遊んでいた子どもたちはそんな彼を怪訝な顔をして見ていた。
ヴィレラからの手紙は、普通の”友人が友人へ書く、ありきたりの親しみある普通の手紙だったのだ。そんな手紙のどこにオレは脅威を感じたのだろう?。ヴィレラは”至急、家に来てくれ”と書いてあったから、あまり遅くれてはならないと思った。何か重大なことで相談を持ちかけられるのかもしれない。
「さぁ、急いでくれ!」
彼は御者にふたたび命じた。
そして、遅れた言い訳を何か考え、この再会をきっかけに過去の友情を取り戻すことまで考えた。
その間、頭の中では占い師の言葉が浮かんでいた。彼女は、訪問の理由、彼の状況やヴィレラのことまで当てたのだから、その他も当たるに違いない。
”現在の問題は無視するに限る。大事なのは二人の未来だ”と彼は思った。
 
 

 

ソファー画像


 馬車にゆられるカミロの脳裏に、少しずつ、だがとめどもなく彼が過去に信じていたものがよみがえりはじめ、その神秘さは彼を興奮させ、無性にわけもなく笑いたい気持ちにさせた。それも、自分自身に対する嘲笑という、恥ずかしいものだった。
しかし、あの女占い師、カード、感情のない言葉。そして、「さあ、行きなさい、”恋する若者よ”!」と勇気づけてくれた声。
それと占い師の館を出る時に聞こえていた、ヴェネツィアのゴンドラ乗りの『別れの唄』。
スローテンポだが情緒あふれる唄声が、いまだに彼の中に耳に響きつづけ、それは過去に信じていた旧いものと新たに信じることになった新しいもの(占いのことである)とあいまって、カミロをさらに勇気づける効果をもたらしていた。
彼はこれまで過ごしてきた幸福な日々と、これから過ごすことになるであろう楽しい日々を想像し、胸はときめき、高揚感につつまれた。
  グロリア通りを通る時、カミロは海を眺めた。はるか遠くの水平線で海と空がひとつとなり、混じり合う風景を眺めながら、これから始まるであろう、永遠に等しいような幸せな人生について考えていた。
  まもなくしてカミーロはヴィレラの家に到着した。馬車から降りて庭の鉄扉を開けて敷地内へと進んでいった。屋敷は静まり返っていた。玄関に続く石の階段を上り、ドアをノックするかしないかのうちにドアが開かれヴィレラが現れた。
「もっと早くに来れなくってすまなかった。一体、何が起こったんだ?」
ヴィレラはその問いには答えず、顔をしかめたまま中に入るようにうながした。二人は奥の小さな部屋に入った。
その部屋に足を踏み入れた瞬間、カミーロは驚愕のあまり悲鳴を押し殺すことができなかった。
部屋の奥の長椅子の上には血にまみれたリタの死体が横たわっていた。ヴィレラはカミーロの首を掴み、拳銃を二発撃つ頭に打ち込むとカミロの死体を床に横たえた。
 
  

  

タロット死神



終り

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作品の説明

『カード占い師』は1884年にリオ・デ・ジャネイロのガゼッタ新聞に掲載されたブラジル人作家マシャード・デ・アシス(1839 - 1908年)の短編小説である。同作品は後に物語は作品集及びアンソロジーにも掲載された。また、1974年と2004年には映画化され、2014年にはジョージ・アントゥネスによってオペラ作品の題材にもなっている。

物語のあらすじ

物語は1869年11月のとある金曜日、カミーロとリタの会話から始まる。カミーロは頑なに占い師を信じず、リタから勧められても聞く耳も持たなかった。物語の中ではこの占い師は誰に対しても同じことを言うペテン師で、名前が明かされない不審なキャラクターが主人公たちを惑わす印象深い登場人物となっている(注:アシスの作品の特徴)。リタは占い師が自分の悩みや問題を解決してくれると心から信じこんでいて、物語の終盤にはカミロとの関係が夫にバレそうになるのをきっかけに、不安に駆られたカミロはリタと同じように占い師をたよったが、ほかのお客を丸め込むのと同じ手口であっさりと騙されてしまう。占い師は巧みな話術でいかにも自分が賢く、あまつさえも自分が相談者の運命を握っているのだと信じ込ませ彼らを自信づけていた。ヴィレーラ宅に到着したカミロは、すでに殺されているリタを発見すると同時に、幼馴染であったリタの夫に殺されてしまうという顛末となっている。
 
作品の翻訳

『カード占い師』は2016年8月から2017年2月にかけてモジ・ダス・クルーゼス日本語モデル校の翻訳コースの生徒が翻訳したものです。原文はこちらで読むことができます。

翻訳に協力した生徒: 篠原ブルーナ英美、小川 ヨハナ かおり

監修・翻訳指導:  小川憲治


2017年3月18日 

  モジ・ダス・クルーゼス日本語モデル校公式サイト

 

 
 Site Oficial da Escola Modelo de Língua Japonesa de Mogi das Cruzes

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